9月 21st, 2011

vol.14 Taiwan Taipei

No Comments, 台湾, by admin.

異国だが、どこか懐かしい感じがする国、台湾。
台湾北部の都市、台北を訪れた。
台北市は亜熱帯地域であり、1年中温暖で過ごしやすい。

龍山寺
龍山寺
1738年創建。台北で最も古い寺のひとつ。仏様、観音様、台湾の神様「媽祖」など、ありとあらゆる神様がまつられている。多くの人々が熱心に拝んでいた。


画像左:地元民で賑わう士林夜市
画像中央:臭豆腐。独特のにおいで、好き嫌いがわかれるところ。
画像右:様々なフルーツが一年中ならぶ


住宅街にある静かな茶房にて。
店主からお茶の作法を聞きながら、凍頂烏龍茶と中国緑茶をいただく。
1杯目、2杯目、3杯目とお茶の香りと味の変化を感じながら、優雅なひとときを過ごす。


国立故宮博物院
絵画、陶磁器、書、仏像、漆器、彫刻など古美術品の収蔵点数は合計約70万点にも及ぶとも言われ、アメリカ(ニューヨーク・メトロポリタン美術館)、イギリス(ロンドン・大英博物館)、フランス(パリ・ルーブル美術館)と並んで世界4大博物館のひとつに数えられている。


九份
映画「千と千尋の神隠し」の舞台にもなったとも言われる古い街並み。
斜面に曲がりくねった道、遠くに見える青い海と小さな島々、細い路地に土産店、茶屋などが立ち並び、観光客で賑わっていた。

春水堂
タピオカミルクティー元祖の店。タピオカのもちもちした食感とミルクティーの程よい甘さ。美味しくいただきました。

今回の台北訪問。とにかく食べて、お茶を飲んでばかりいたような。。
そして、台湾の人は日本人に対してとても親切な方が多かったのを身に染みて実感しました。


私の初ヨーロッパ、目的地はスウェーデンですが降り立ったのはデンマークのコペンハーゲン国際空港。
さすが北欧といった感じのアートな雰囲気が漂う空港でした。
そして、コペンハーゲン空港駅から電車に乗り、国境を越えてスウェーデンへ。
特に入国手続き等は不要なので移動は楽だったのですが、8月上旬なのに電車の中には暖房が・・・
日本と違い湿度はとても低いのですが気温は25℃前後あるし、いくらなんでも暖房はないなと思いました(笑)
電車に揺られること1時間半程度で、スウェーデンのクリスチャンスタッドへ到着。

とりあえずは、駅前の案内図で予約してあったホテルを探してチェックイン。
鍵を受け取り部屋に入ると、ん? なんか暑い??
電車に引き続き部屋も暖房ON状態、しかも暖房OFFのスイッチ無しという。
こちらでは8月でも暖房ONが普通なのでしょうか。
いやぁ、とにかく暑かったです。

せっかくなのでスウェーデン料理を食べようと適当なお店を探してみましたが、
スウェーデン料理を出しているようなお店が見つからず、結局は普通のイタリアンへ。
ここで食べた「バナナのピザ」がバナナの甘さとチーズの塩味が絶妙で想像以上に美味しかったです。
スウェーデン料理というと肉料理に甘いソースがかかっていたりするらしいですが、
こういう甘い料理が多いかもしれませんね。



翌日はクリスチャンスタッド郊外のリンカビィ地区で行われている、『第22回 世界スカウトジャンボリー スウェーデン大会』会場へ行ってきました。
世界スカウトジャンボリーとは、世界161の国と地域から約30,000人が参加するボーイスカウトの世界大会で、
今回日本からは約1,000人が参加したそうです。


会場は1日や2日ではとても全てを見て歩けない程の広大なエリアで、世界各国から集まった子供達がキャンプをしながら交流を深めていました。
決められたプログラムをこなす子供達はもちろん、あらゆる場所で自発的に催しが行われており、
参加している人達がものすごく楽しそうだったのが印象的でした。

日本から参加している子供達のキャンプサイトへお邪魔した時には、ちょうどAKB48の曲に合わせてパフォーマンスしており、
外国の子供達と一緒に盛り上がっていました。
でもAKBが外国の方達に理解できていたかは謎ですけど。



4年後の2015年の第23回世界ジャンボリーは日本の山口県きらら浜で行われる事が決定しており、
世界各地から多くの方が日本を訪れる予定です。
日本では外国ほどボーイスカウト活動はメジャーではありませんが、これを機により活発な活動になる事を期待したいですね。

NYタイムズ「2008年今行くべき国」の第1位に選ばれて以来、旅好きの人々の注目が集まっているというラオスへ行ってきました。

外国人の多くは、メコン川沿いの街、ルアンパバーンを目指します。1556年までラオスの前身であるラーンサーン王国の首都だったルアンパバーンは、街全体が世界遺産に登録されていて、また、1975年の共産主義革命が起きるまでは王宮も置かれていました。

今回わたしは、そのルアンパバーンの街から車で30分ほど離れたジャングルにあるエコリゾートに滞在してきました。このLao Spirit Resrotはドイツ人が経営するロッジで、メコン川の支流であるナム・カン川沿いの敷地に5棟のバンガローが点在。エアコン、テレビ、ヘアドライヤーなど都会的なものはなるべく排除されていて、ジャングルの濃い空気と、生きものたちの息づかいを聞きながら休日を過ごすことができます。


ドイツ人のマネージャー以外、スタッフはみなラオス人。いまだに農業が国の主産業であるこの国で、彼らが少しでも現金収入が得られるようにと、住居や教育、ローンなどのサポートをしながら地元の人々を雇っています。ラオスの人々はその多くが山岳民族とあってみなとても賢く、体力もあり「生きる力」はとても強いように感じるのですが、ちょっとのんびりしたところもあります。滞在中、ドイツ人マネージャーが彼らに仕事の指示を出している場面に出くわしたのですが、そのなかなかぼーっとした受け答えに何度もふき出しそうになりました。

ラオスの前身であるラーンサーン王国というのは「百万の象の国」という意味だそう。
すぐそばのエレファント・ビレッジが主催するエレファント・トレッキングというものに参加もしてみました。象の背に乗りのんびり山を登った後は、今度は自分の足で川の浅瀬を渡りながら山を下り、最後に滝壺プールで水浴びをするというなんともワイルドなツアーです!


帰りは、ラム・カン川をボートで下ってロッジまで戻ります。この川は、やがてメコン川へと合流します。

トレッキングの翌日は、一日中テラスでのんびり。
古いラオスの建築様式を踏襲したというこのバンガロー、地元の職人たちを雇いながら全棟完成させるまでに3年を要したそうです!
テラスで本を読んでいると、隣のレストラン棟ではたらくスタッフの笑い声や敷地内の花の世話をする男の子たちの働いているのか、遊んでいるのか、のーんびりした話し声が聞こえてきて、この声がなんとも眠りを誘います・・・。

小さなリゾートですが、レストランには7:00のオープン以来ずっと可愛らしい女のこが待機していて、ゲストは好きな時間に食事をとることができます。アジア料理も、ウエスタンも、どちらもびっくりするくらいおいしかった!ここの食事だけのためにまたラオスに行きたいくらい。地元の村をサポートするために、なるべく近隣の農家や漁師から食材を買っているそうで、素材がよいからかもしれませんね。

さて、最後にルアンパバーンの街の話も少し。
ルアンパバーンは1時間もあれば街を1周できてしまうほどの小さな街。
古いアジアの街並の中に、仏教寺院とコロニアルスタイルのカフェやレストランなどが同居しています。

若いバックパッカーもいますが、40〜50代くらいのヨーロッパ人も多くて旅行者も落ち着いた雰囲気です。
「世界の大人の不良が集まる街」とでも表現すればいいのか、元ヒッピー風のお洒落な夫婦も多くて、
手持ちの洋服にその辺りの露天で買った小物を上手にミックスしながら街を歩いています。


みんなわざわざここまで来ようとする人々ですから旅好きの人が多く、出逢い頭にちょっとした会話を交わすのも楽しいひとときでした。

彼らがぜひ自宅へ持ち帰りたがるものの1つが、織物。
織物の盛んな東南アジアでも特にラオスにはまだ古い織物の技法、草木や虫の汁(!)を使った天然の染めが受け継がれていて、織物好きの人には垂涎の作品がたくさん。
また、モン族はじめ、山岳民族はそれぞれ独特の刺繍やパッチワークの技法を持っていて、ルアンパバーンではこれらの貴重な作品も手に入ります。

最近の織物もシンプルで趣味のよいデザインが多くとても迷ったのですが、いくつかを見るうちどうしても古いものにひかれてしまい、小さな布を買い求めてきました。

藍地に白く貫かれた中央のクロス模様は、イカットといわれるアジア特有の絣です。

そして、左側の色鮮やかな紋様部分には、ラオスらしい技法、浮き織りが。
浮き織りはとても古い織りのテクニックで、地の糸に別糸を織り込み、糸を浮かせて模様を表現していきます。

一瞬刺繍のように見えますが、これも織りの一種。気の遠くなるような細かい作業の連続で、さらに事前に図案を作ることなく、その紋様は織子の頭の中にしかありません。
イカットと浮き織り、通常はどちらかの技法を使った布がほとんどだそうですが、この両方を合わせ持ったこの布は、なかなか貴重なもののようでした。

6月 20th, 2008

vol.11 Canada Whitehorse

No Comments, カナダ, by admin.

「何で英語とフランス語やねん!」
機内での映画鑑賞を楽しみにしていたのに日本語字幕が無い。
最悪だ。寝よう。
そしてやっと着いたと思ったら入国審査でガッツリひっかかり、
色々いちゃもんを付けられながらボロボロになって入国した。
ついていない。バンクーバーが嫌いになった。
気を取り直してホワイトホース行きの国内線の方へ。
し、しまった!!手荷物検査を済ませてしまった。

そこはただの待合室のような狭いところで、椅子と小さな売店しかない。
機内食以外何も食べていないのに食事をするところも無い。
かといって、
この語学力でもう一度手荷物検査にトライする勇気もガッツも無い・・・・・・。
寝よう。寝るしかない。
仕方なく、乗り換えまでの3時間を寝て過ごした。

なんとか目的地ユーコンのホワイトホースに到着。
アラスカとの国境に位置するユーコン準州。
南西部はクルアニ国立公園・保護区になっており世界遺産に登録されている。
そこのホワイトホースという小さな小さな街。

中心部は歩いて15分くらいで全部回れるくらい、ほんっとに小さな街だ。

食べ物はおいしいものがたくさんあって好き嫌いの多い私でも全然平気だった。

ただ、観光地なので物価は安くない。で、ほぼ毎日サンドイッチに決定。

あとビール。ビールはうまい。このユーコンゴールド。
しかもパスポートを見せなくても売ってくれる。大人って認めてくれる。
うれしい。いい街だ。

寒い。とにかく寒い。
出発前の情報では『もう暖かくなってきていて、雪は残っていない。フリースで十分』とのことだったが、

寒いやん!!もう絶対ダウンジャケット。しかもミシュランくんみたいなごっついやつ。
なめてました。それでも現地の人はTシャツの人もいる。なんで!

白夜です。めっちゃ白夜です。

これPM10:30くらい。この明るさがPM12:00くらいまで続いて、
徐々に暗くなると思ったらまた明るくなってくる。
要するに眠れない。ずっと明るいから時間の感覚は完全に狂う。時差もあるのでよけいにたいへん。

そんな6日間もあっという間に過ぎ、今回の任務も無事終了。
日本食が恋しくなると思って買っておいたみそ汁にも手をつけず、
ひたすらサンドイッチを食べてた。

当分サンドイッチはおろかパンもいらないです。
がまんできずに帰りのバンクーバーでうどんを食べてみたが・・・。
やめておけば良かった。ブロッコリーは絶対入れなあかんのか?
いや、もういいです。
愚痴ばっかりのようですが、さすがに風景は圧巻。
広大で、雲が近い。仕事じゃなければ、けっこう良いところです。多分。
今度は絶対オーロラが見たい。見に行こう!!9月くらいが良いらしい。

おまけ

撮影中の珍客。地リス。こんなやつがウヨウヨおった。ちなみに写真には撮れなかったがこの撮影の帰りに道路を横断するグリズリーに遭遇。珍しいらしいです。

2月 18th, 2008

Vol.10 Kingdom of Bhutan

No Comments, ブータン, by admin.

ブータンという国をご存知だろうか。「最後の秘境」と呼ばれることもあるこの国は、ちょっと不思議で、とても魅力的な国。

ブータンは、ネパールの東、インドの北に位置する小さな国。インド、ネパール、タイ、バングラディッシュの4カ国6都市から、ブータンでたった1つの国際空港があるパロ市へアクセスできる。もちろん日本からの直通便はなく、経由地で1泊することになる。はっきりいって、遠い!のだ。
1970年代に本格的に観光客の受け入れが許可されたが、それまではほぼ鎖国状態だった。ガイドブックを読むも、実態はよく分からぬまま入国。いきなり目の前に現れたのはド派手な空港。規模は小さいが、鮮やかな建物。これがブータンににたった1つの国際空港だ。

空港はとても立派で、伝統的な様式で建てられている。

ブータン唯一の国営航空会社「Druk Airline」


ガイドブックによれば、ブータンは自国の文化と環境を守るために現在でも入国者数を制限し、観光は常にガイド付き。また自然が豊かで、多くの人々は農業を生業としている。そのため昔懐かしい農村風景が多く残り、昔の日本の山里を思わせる…とか。山がちな地形で谷が多く、人々は谷ごとに集落をつくり谷ごとの文化を持っているのだという。

のどかな田園風景が広がるブータンを山の中腹から眺める。

しかしのどかな田園風景を残しつつも、ブータンは今年の新国王戴冠に向けて、建物も道もどこも工事中。例えば、空港のあるパロから首都のティンプーまで車で2時間の道のり。道路は工事の真最中。インドからの労働者が石を運び、おしゃべりしつつも道を造っているのでありました。
 街(といっても、とても小さい)でも多くの工事が行われており、「あそこに大きなホテルができます、あっちにはビルが建ちます。」とガイドが教えてくれた。

 険しい山に段々畑をつくり、人と動物しか通れない狭い道がくねくねと続く農村。かたや大工事が行われ、今まさに変化の途中の街。私はこの2つの出来事の、時間の流れ方があまりにも違うため、どうしても1つの国で起こっていることに感じられなかった。この国は今後、どんな風に変化していくのだろう。滞在中はそんなことばかり考えていた気がする。

ブータンは織物が有名。とても手が出ない値段のものがたくさん。複雑な模様と、色彩は本当に美しい。

当のブータン人たちはのんびりしたもので、休みの日になれば国技でもある弓に興じ、野菜市場で野菜を売りながらのんびりと過ごしていた。また、ブータンでは伝統を重んずるため、20年ほど前から独特の政策がとられている。公式な場での民族衣装の着用と、建物に伝統的なデザインの採用すること。寺院や公営の施設はもちろん農村、街のメインストリートなどどこでも、人々の多くは民族衣装を着ていた。そしてほとんどの建物には伝統的なデザインが施されていた。
 どこの国?というより、いつの時代?と聞きたくなるような光景にブータンの謎はますます深まるばかりだった。もしも日本で急に同じ政策がとられたら、どうなるのだろうか?面白そうだけど、きっとすごい混乱になってしまうだろう。もう20年も経っているからか、ブータンの人々はそれを受け入れながら、自分たちのペースで穏やかに暮らしているように見えた。

数少ない店の店主。ここは狭い方で、広い店はお酒やお菓子などもある。

ブータン人の暮らしをぼんやりと眺めていると、あっという間に時間が過ぎて行く。
ブータン泊最後の日。私たちには、1つ大きな目的があった。それはブータン人の聖地、タクツァン僧院に行く事。
そもそもここは、ブータンに仏教を広めたと伝えられるパドマサンババという人物が、メスの虎の背中に乗って降り立ったという場所。別名「虎のねぐら」とも呼ばれている、ブータン人憧れの聖地。豊かな自然に恵まれたブータンはトレッキングも盛んで、多くの観光客が観光目的とトレッキングを兼ねて、この僧院に訪れるとか。

しかし!タクツァン僧院は崖の上にそびえ立ち、実際に見るととても徒歩で行けるとは思えない所に鎮座ましましているのです。

ガイドブックのトレッキング難易度は低く
「まぁ、いつもの恰好で登れるさ」とすっかり安心していた私。
ジーンズとスニーカーという恰好でトレッキングの打ち合わせに挑むと… 
ガイドが「ジーパンだとこすれて足が痛いかもしれない、それにトレッキングシューズもあった方がいいんだけど」。と言う。

ヤバイ!ピンチ!
自然を甘くみていた?!
この恰好で目的地まで、辿り着けるのか?!

同じくタクツァン僧院に向かう人々。この日は初雪が舞うほど寒かった。

民俗衣装の下は、セーターやタイツを重ね着して寒さをしのいでいる。それにしても、この恰好で楽々と登るのだから、本当に身軽だなと感心してしまう。

しかし、毎週体を動かしているし、なんとかなるかも。
若さだけを頼りに不安を抱えながらも当日を迎えた私。

頂上までの道のりは、最初から登り坂が続き、20分も登ると息があがってきた。かなりの汗をかき、途中何度も水を飲みながら、無言で登る。
思っていたより、キツイかも。
そう思って歩いていると、急にカラダが軽くなってきた。
体がほぐれてきたのか、どんどん進めそうだ。遠くにそびえるタクツァン僧院にもすぐに行けそうな気分。
「な〜んだ、トレッキングって楽しいじゃん!」とHIGH状態になって進む。

しかし、その20分後。疲れが押し寄せる。かなりLOW…
息をきらしながら、なんとかペースを保って進むも、景色を楽しむ余裕はない。

はぁはぁ言いながら歩いていると、横を子供が走り抜ける。
無邪気に自己紹介をしながら楽々と進む子供。
地元の人にとってはこんな道は、なんてことないようで
10cmくらいのヒールをはいて登る女子もいるらしい。
嘘デショ…。
結局、HIGH と LOW を繰り返しながらなんとか頂上へ辿り着いた。

近くの展望台から。許可を得ていない人は、展望台までしか進めないとのこと。

下山後は、疲れがピークに達し、ヘロヘロに。
気力だけで地元の農家を見学し、街の土産物屋を覗くも
ホテルに戻るなり、シャワーも浴びずに泥のように眠ってしまいました。

一番多く売られているのは、トウガラシ。

野菜、米、肉などエリアごとに商品が分かれている市場。


地元の人々の食事。唐辛子が多く使われているのでとても辛い!

 街や山であったブータン人はとても素朴で、暮らしも質素だった。しかし彼らからは、「貧しさ」は感じられなかった。自給自足の生活を送って、不自由はないようだ。その証拠に、彼らはいつもとても穏やかで、幸せそうな顔をしていた。
印象に残ったのは、市場を訪れた時のことだ。
地元の人々が私を物珍しそうに見ている気がして、彼らに私はどんな風に見えているのか気になった。
軽いトレッキングで音をあげて、騒がしい東京で暮らす私は、彼らのように穏やかで幸せそうな顔をしていたかな?と考えてしまう。

ビジーな街、東京で暮らしていると便利が当たり前になってしまう。そして、それが幸せだと思ってしまう。今回の旅でブータンの人々の穏やかな笑顔が、「こんな幸せもあるよ、のんびり暮らすのもいいもんだよ。」と教えてくれたように思う。ブータン人の目線で世の中を見て、暮らしてみるのも楽しいかもしれない、と思った。
まずはブータン流の穏やかな笑顔から、実践してみようかな。

11月 19th, 2007

vol.09 Nepal

No Comments, ネパール, by admin.

ビスターリ、ビスターリ。
人生初のネパールで、
もっともはじめに覚え、
もっともたくさん使ったネパール語はきっとこの言葉。
その意味は、「ゆっくり、ゆっくり」。
たとえば。
首都カトマンズに滞在していたのは、ダサインという15日間にわたる祭りの最中。

2日後にハードなトレッキングを控え、
わたしたちは山盛りのタンドリーチキンとチキンカレーで体力をつけたかった。肉がたべたかった。
「タンドリーチキンと、チキンカレーと、マトンカレーもってきて!!!ゴハン山盛りで!!!」
オーダーしたところ、店の少年は悲しげな顔で言う。
「祭りで生け贄がいっぱい要るから、この町では今、チキンがまったく手にはいらないんだよ!もちろん、マトンもね!!」
OH〜!NO〜!
しかたなく、今日唯一作れるというメニュー、ニク無しやきそばをビールでながしこむ。
そんなときネパール人はこう言う。
ビスターリ、ビスターリ。ま、あせらずのんびりね。チキンはあしたでもいいじゃん、と。

ビスターリ、な肉ぬきやきそば。

たとえば。
ヒマラヤへの玄関であるルクラという小さな村の空港。
ここはなんと「飛行機がめったに飛ばない空港」として名高い。
高地の谷間にあるため、しょっちゅう、
というかほとんど毎日霧がかかるのだ。
空港にたむろすのは、
1週間から数十日にわたる山ぐらしを終え、もうすぐ街だ!ビールだ!肉だ!シャワーだ!と鼻息荒いトレッキング客たち。
しか〜し!!
たいていの客が、ここでまる1日〜1週間(!)の停滞を強いられることになるのです。

ルクラの空港待合室。

窓にひとがたくさんへばりついているのは、
自分が乗る飛行機が飛んでくるのを遠い空にさがしているから。
こんな時も、空港職員がふらりとあらわれて口にする。
ビスターリ、ビスターリ。ま、そのうち飛ぶかもよ、と。

そんなルクラの滑走路。


滑走路がはげしく傾斜しております。その先は、深い谷。こわいです。

荷運びのゾッキョあらわる。


にんげんは道の端によけないとキケン!
トレッキング街道ではしょっちゅうこんな《ゾッキョ待ち》が。
ま、ビスターリ、ビスターリ。

ビスターリ、なヤク。

ビスターリ、ないぬ。


忙しいトーキョーのペースとは正反対のネパール。
でも、2週間近くも滞在してると、ま、こんなペースもいいかな、と思えてくるから不思議。
くしくもここは《神々の棲むヒマラヤ》。
なんとなく、遠い山の彼方から
ま、ビスターリ行きなさいよ。
という天の声が聞こえてくるような気がしませんか?

11月 3rd, 2007

vol.08 France Pyrenees

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秋も深まるフランスはミディ・ピレネー地方。
社内の他のスタッフの手前大きな声では言えませんが、
今回のロケ隊の食糧事情は、
数ある今年のロケの中でも《最高!》だったと言えるでしょう。
フランス第四の都市トゥールーズ〜スペインとの国境にあたるピレネー山脈は、美食の国フランスの中でも、《グルメ》な地域として知られています。
たとえば。。。
雨の中の撮影を終え、へとへとになって宿にたどり着いた晩。
現地コーディネーターの家に用意されていたのは、バケットにこれでもかと盛られたフォアグラ!でございます。

「ピレネー地方のフォアグラにピンクシャンパンの組み合わせは世界最高!」だと豪語するフランス人J.P.氏の勧めにしたがい、もりもりいただきました。
折しもフランスではラグビーW杯の真っ最中。
TVではフランス代表がまさかの大逆転劇で強豪ニュージーランド・オールブラックスを破った試合が中継され、涙を流して喜ぶJ.P.氏とともに、美酒の杯が重ねられていくのでした。
ちなみにフォアグラは日本で買うほど高価ではなく、質の良いものはマーケットで買うのがおすすめです。

さらにロケ隊いちばんのお気に入りは、「ガルビュール」とよばれるこのスープ。

フランス南西部〜スペインバスク地方で食べられている郷土料理で、テーブル上で大きな鍋から取り分けるのがルール。
キャベツ、じゃがいも、かぶ、にんじん、豆などのたくさんの野菜がたっぷり。終日の撮影で疲れた体がよろこぶ味です。
作る人ごとに「私のガルビュールは・・・」という自慢のレシピがあるというこのスープ。
ピレネー地方では鴨のコンフィでダシを摂るというぜいたくさ。鴨の滋味がしみじみまで野菜にしみ通り、なんともうまーい!のでした。
ちなみにこれは前菜に過ぎず、このあと鴨や豚や羊などもりもり肉を食べるのがピレネー流。

あくまで、あくまで、この光景は一日の締めに過ぎず、毎日へろへろに仕事をしていたことはお断りしておかなければ留守を守っていたスタッフに刺されそうですが・・・。
はい、ワインも美味でした。ピレネー地方はなかなかによいワインの産地でもあります。
珍しいのが、これ。

今年のワインの新酒です。
いわゆる《ヌーボー》と違うのは、発酵がはじまったばかりのもののため(ヌーボーは必要な発酵を終えている)、発泡性アリ。
シュワシュワとのど越しのよいフレッシュなブドウジュースという感じ。おいしいです。
モデルたちも思わずはしゃぐ美味さ。

あくまでも、あくまでも、毎日必死に仕事をしていたことを再度お断りしておかねば!
でも、わがブル・ドックには格言がありまして。
「食に負ける者、ロケに勝利せず。」
疲れやすい見知らぬ土地で、健康管理は必須。「どんな食事でも三食しっかり食べること」が何よりのパワー源。また限られた予算内でスタッフによい食環境を確保することは、よいディレクターの務めでもあります。
・・・というわけで、トランジットのパリでも、帰途につく直前にハシリの牡蠣、堪能させていただきました!

「食に負ける者、ロケに勝利せず」、ですから!!

ソルトレイクは山の街だ。

空港からダウンタウンへ向かうハイウェイに乗ると一番に目に飛び込んでくるのは山だし、街のホテルやビルの間から顔を覗かせるのも山、ショッピングセンターを出て目に入るのもまたまた山。
山といっても、乾燥した気候のため赤茶色のごつごつした山肌がむき出しのやつだ。それが空港や街の至る所で見かけられる。
冬はこの気候のお陰で絶好のスキーリゾート地として栄え2002年には冬季オリンピックも開催された。西部アメリカの中心地、ソルトレイク。

 この街にいるととても不思議な気分になる。普段はビルや高速道路に囲まれている生活を送っているので、ホテルの向こうがすぐ山、という風景に違和感を覚えてしまう。
実際そこに行こうと思えば車で1時間位はかかるとのことだが、その距離感が余計に現実感を奪っていく。

そう、まるで、「映画のセットみたい!」なのだ。
例えば、ここはアメリカ西部。街のすぐ向こうでは街を乗っ取ろうとするギャングとさすらいのガンマンの死闘が!!!
もしくは、ここは、大荒野の中に突如として現れた大きなアトラクション施設!ミステリーサークルに次ぐ謎として全米の注目を集めている、とか?
そんな突拍子もない考えが思い浮かんでしまう。普段どれだけ自然に接していないかを思い知らされてしまったけれど、顔を上げれば山がある(しかも西部劇風)という非日常的なこの風景が、この旅で私は一番気に入った。

もう一つの思い出と言えば、十分過ぎるくらいの食事の量!
ベースボール位の大きさのミートボール入りスパゲッティは渡米前から社内でも噂の1品だったのでさっそくチャレンジ。
この噂のイタリアンレストランには、スモールサイズとレギュラーサイズがあるのだけれどスモールサイズでも相当な量!。
もちろんスモールサイズで注文すると予想以上に大きいミートボールが登場。加えて食べても食べても減らないパスタ。初日からソルトレイクの洗礼を受けた私たちはぐったりとホテルに戻った。

そんななか、さらなる強敵が現れた。滞在3日目のランチ。
頼んだのはビーフのブリトー。目の前に現れたのは、大皿いっぱいのビーフたっぷりチーズたっぷりのブリトー。結果、大量のチーズと牛肉のダブルパンチで半分食べただけでもしばらく身動きがとれない状態に…。
隣のテーブルにいた地元の人と思われる女性二人組もブリトーとチキンを注文していたけれど、さすがに残していました。地元の人も残すなら、もっと量を減らせばいいのに、と思いながら店を出る。
それにしてもお腹がいっぱい。。
この夜は、10時になってもお腹が減らず軽くデリバリーを頼んで終わりにすることに。
そんな私がソルトレイクで学んだことは、昼は食べ過ぎるな、チーズを避けろ!でした。

  食べては苦しくなり、食べては身動き取れなくなり、の連続だったけれど、初めてのアメリカは仕事で良い経験ができ、食も堪能できて、タテにもヨコ(?)にも成長した気がした。そして旅の最後にはいつものあの言葉「帰りたくない!」が連発されるのでした。。
 

8月 23rd, 2007

vol.06 England Cotswolds

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2度目となるイギリス。
最初に訪れたのは、雑誌の取材でロンドンにたった2日の短い滞在。
しかも終日撮影のため走りまわり、その時のイメージから「ロンドンは大観光都市、観光客だらけ、食べ物はまずい」と、あまり良い印象を持っていなかった。
今回はコッツウォルズという田園地帯での仕事。ヒースロー到着後、空港からそのままレンタカーで現地へと向かった。

日本と同じ右ハンドル左側通行なので運転は楽々なのだが、
まわりの車は全体的にスピード出し過ぎで緊張を強いられる。
また、イギリス独特のラウンドアバウト(ロータリー?)でよく道を間違え、空港からなんとか目的地についた頃には周りが薄暗くなっていた。

この地方には数多く小さな村が点在しており、
私たちが滞在したのはSnowshillという村。
ここを拠点に広大な牧草地帯の中を車で行ったり来たりな毎日。
路上では、車にはねられたキジのような鳥を沢山目にするのだが食用にできないのか?と見かける度に思ってしまう。
それにしても、イギリス人は車飛ばし過ぎ。しかし皆さん、いい車に乗っていらっしゃる。この地域に住むのは富裕層が多いようだ。

コッツウォルズでは、毎日必ずどこかの村でファーマーズマーケットが開かれている。場所と曜日をチェックしてはいろんな村を訪ねてみる。

実家の高知では日曜市をお城の下でやっているが、
こちらは様子が随分違い、おしゃれ。いろんな農家が集まり出店しているので楽しい。もし、ここに住んだらおいしい料理が沢山できそうだ。皆さん気さくで写真もすぐ撮らせてくれる。

(この方が滞在中お世話になった宿の主人、Snowshill Hill Estate のWilnさん)
彼女の情報がなければ、路頭に迷う所だった。結婚する前は観光局か何かの仕事をしていたらしく、私たちの目的を理解して的確に案内してくれた。また、彼女が作るすばらしいEnglish Breakfastも毎朝おいしくいただく。「卵はどうする?ソーセージはいくつ?」など聞かれるので、毎回スクランブルでお願いしましたが、またこれが良いフワフワ感で。トマトをオーブンで焼いたものも新鮮だった。

乗馬をしている素敵な女性を見かけたのでぜひ撮影をと思う。
宿のJoさんに尋ねてみると馬の調教師の方だとのこと、その家族の所へと案内してもらう。

まるで映画に出てきそうなかっこいいおばあちゃんと、その娘たち。女ばかりの女系家族のようだが、男性顔負けのたくましさで代々調教をしているようだ。

オールドファームの子供たち。取材に訪れた時期は学校が休みらしく犬と走り回る毎日らしい。アニメやゲームに縁がなさそうでいい。

滞在中は比較的天候に恵まれたらしく、夕日が見れたり青空なのは実は珍しいことだとmam(=宿のママJoさんのこと。いつのまにか彼女をスタッフ同士で『お母さん』と呼ぶように。)が教えてくれた。
温暖化の影響か、普段はもっとどんよりとした空らしい。
朝に霧が出ていると宿泊客のおばさんが、可愛くMisty!(Morningの代わり)などと言う所は、なんとイギリスぽいことか。

Snowshill近辺は外食できる所が少なく、いつも夕食は村で1件しかないバーで摂る。
百年以上前の村の写真を見ながら、ビールを飲み、想像を巡らす。この辺りは鉄道がないから昔の交通は馬しかないだろうなどと。

東京から3-4時間車を走らせても北海道には行けないが、コッツウォルズはロンドンから3時間で北海道へ着くような感覚。1週間の滞在を終えロンドンに戻ると人込みに圧倒されたが、今回の田舎暮らしでイギリスへのイメージが少し変わった。

最後にせっかくの機会と行ってみたかった大英博物館を訪れ、おいしいFish&Chipsを食べ、地下鉄初乗りが日本円にして¥1,000というポンドのは高さを実感しつつ、帰国の途についた。

テロにまけるなお巡りさん。

6:10日の入まであと30分
世界一の夕焼けを撮りに「いくぞ」の声とともに車に飛び乗った。
行き先は高い高いカリーの木に登れる国立公園。
あそこなら世界が見渡せるはずだ。

勢いで登りだしたものの、くぎが打ってあるだけなので、怖くて足の震えが止まらない。
満足に木登りなんてしたことないのだ。一歩一歩登るごとに地面は予想以上の早さで遠くなっていく。なかなかつかないのに日はどんどん暮れていく。

頂上についた。広い世界。360度の森。すごい風。
無言でマミヤと三脚をセットする。
もうすぐで太陽が中に入ってしまう。
こんなときに限って、マミヤの調子が悪い。
私は三脚を押さえながら必死で祈る。
「お願い、どうか、シャッターが切れますように」
やっと写真が撮れる。
1枚、2枚、スローシャッター音がひびく。

ユーカリの森に入ろうとする太陽
まさに原始の光景
ダイナミックに入ってゆく。
赤くて、青い色が広がる。
この美しさは写真に入ってるだろうか。
この美しさはみんなに伝わるだろうか。
疲労で足が笑っていて、それでも私はぶれないように息をひそめた。

太陽が入り、仄暗いなか、カメラをかつぎ、また、一つ一つ釘を伝って降りていく。
奇妙な興奮のなか、私は思う。
この伝えるという
単純にみえて難しいことを、
私もできるようになるのはいつなんだろう。
この、みたままの、感じたままのことを、
ピントが合うように、
伝えることができるようになるだろうか。

木から降りた後も私の旅は続いていく。

ペンバートンでゆたかに暮らす人たち
心が開いていて誰にでも話しかけずにはいられない
子供ももちろん 地球の端からきた あやしい東洋人を疑わない
一緒に遊んでくれる老人もサッカー大会に手招きをする


本当にまっすぐで 広い道 
誰とでも話したがるおばさんに教えられて、
最後に行きついたアボリジニのでっかいロックは
とても感動した。
本当にここは静かだ。
静かに花が咲いている。

OZたちが 最後に導いてくれたところ
おおきな岩、
まさに 世界の中心!